存在しないことができるという潜勢力があらゆる潜勢力に本源的に属しているのであれば、次のようになるだろう。すなわち、現勢力へと移行するときに、自体的な非の潜勢力を単に取り消すのでも、それを現勢力の背後に放置するのでもなく、自体的な非の潜勢力を現勢力へとそのまま全面的に移行させ、つまりは現勢力へと移行しないのではないことができるもの、これこそが真に潜勢力をもっているものである。イタリア現代思想の旗手アガンベンによる、比類なき思考の全幅を収めた初の論文・講演集。未踏の知へと向かう大いなる一歩が開示される。
(「BOOK」データベースより)
1 言語活動(もの自体 言語活動のイデア 言語と歴史―ベンヤミンの思考における言語的カテゴリーと歴史的カテゴリー ほか)
2 歴史(アビ・ヴァールブルクと名のない学 記憶の及ばないものの伝承 *se絶対者と生起 ほか)
3 潜勢力(思考の潜勢力 現事実性の情念―ハイデガーと愛 ハイデガーとナチズム ほか)
(「BOOK」データベースより)
2008年夏、YCAM「山口情報芸術センター」で開かれた『大友良英/ENSEMBLES』展、その発想から撤収まで。
(「BOOK」データベースより)
2007年12月4日転校生
第1章 2007年
第2章 2008年1〜5月
第3章 2008年6〜7月
第4章 2008年8〜10月
2009年10月11日
(「BOOK」データベースより)
何かへの旅(1971年)、櫻花(1972年)、地上(1973年)、日本三景(1973年)ほか雑誌連載作品などを収録。
(「BOOK」データベースより)
背のびして見る海峡を―何かへの旅(1)(「アサヒカメラ」1971年1月号)
エクスプレス―何かへの旅(2)(「アサヒカメラ」1971年2月号)
撮影後記 背のびして見る海峡を、エクスプレス(「アサヒカメラ」1971年1月号、2月号)
犬の町―何かへの旅(3)(「アサヒカメラ」1971年3月号)
ダムサイトの村―何かへの旅(4)(「アサヒカメラ」1971年4月号)
撮影後記 犬の町、ダムサイトの村(「アサヒカメラ」1971年3月号、4月号)
“変異”の夜―第5象限63(「朝日ジャーナル」1971年4月2日号)
地帯―何かへの旅(5)(「アサヒカメラ」1971年5月号)
週末―何かへの旅(6)(「アサヒカメラ」1971年6月号)
撮影後記 地帯、週末(「アサヒカメラ」1971年5月号、6月号)〔ほか〕
(「BOOK」データベースより)
ヨコスカ(1965年)、にっぽん劇場(1967年)、暁の1号線(1968年)、アクシデント(1969年)ほか雑誌連載作品などを収録。
(「BOOK」データベースより)
アフタヌーン(「フォトアート」1965年4月号)
ヨコスカ リレー連載“日本人”8(「カメラ毎日」1965年8月号)
撮影後記 ヨコスカ(「カメラ毎日」1965年8月号)
純喫茶(「カメラ毎日」1965年10月号)
FIN(「フォトアート」1965年11月号)
あたみ(「カメラ毎日」1966年4月号)
撮影後記 あたみ(「カメラ毎日」1966年4月号)
鎌倉(「カメラ毎日」1966年7月号)
オープン・セット(「カメラ毎日」1966年10月号)
撮影後記 鎌倉、オープン・セット(「カメラ毎日」1966年7月号、10月号)〔ほか〕
(「BOOK」データベースより)
古代ギリシア以来の哲学の創設をめぐるハイデガーの思惟と、アウシュヴィッツ以後の哲学の罪責をめぐるアドルノの思考。これらふたつの思想は歴史とどう向き合い、いかに出来事を名づけたか。両者との果敢な対決を通じて20世紀ドイツ哲学の限界を検証する試み。「正真正銘もっとも重要な草分け的書物」(ハーマッハー)の、待望の完訳。
(「BOOK」データベースより)
罪責(債務)(運命と犠牲 図像化禁止と弁証法 状況布置と脱‐構成)
創設(原初の御し難さ 勃興と没落 名のもとにとどまること)
(「BOOK」データベースより)
アブラハムの供犠と証しを倫理と宗教の両面から考察しつつ、暴力批判と「責任の逆説」を根源的に分析。オランダ哲学の新境地が、デリダ以後の問いを深化させる。
(「BOOK」データベースより)
暴力と証し―キルケゴール的省察(『おそれとおののき』再読 迫害された真理の様相 「躓きの可能性」―殉教を論じるキルケゴール トートロジーとヘテロロジー―あらゆる他者はまったき他者である 神へ、告別、神の不在 「神」を分身化「二重化」することと神の分身 供犠を超えて)
宗教的畏怖―『宗教と暴力』序論
(「BOOK」データベースより)
失業の先にあるのは「求職」「再就職」だけではない。職場を占拠せよ、労働を拒否せよ、偽通貨を流通させよ!闘いの都市ブエノス・アイレスが、いま、私たちに呼びかける。
(「BOOK」データベースより)
第1章 19/20―権力を解任する民衆蜂起
第2章 ピケテロ運動―自律性・水平性の実践
第3章 雇用主のいない企業、オルターナティヴ市場
第4章 都市中産階級の政治化―近隣住民アサンブレア
第5章 正義がないなら、エスクラチェがある―「母たち」と「子どもたち」
付録 コレクティボ・シトゥアシオネス+サンドロ・メッザドラ
解説 ブエノス・アイレス報告
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晩期ブランショにおける活動の究極となる最重要論考を初出誌版より初邦訳。著者最大の評論集『終わりなき対話』の末尾に置かれた同論考の単行本版との異同を附す。書くこと、作品、書物、法をめぐる未聞の思惟がここに開示される。
(「BOOK」データベースより)
勝敗原理の抑圧と「評論」に叛乱するサッカー批評の戦闘的論考。
(「BOOK」データベースより)
序論―「サッカー批評」とは世界批評である
起源論―身体のアルカイックな分節
伝播論―身体帝国主義の流れに抗して
儀礼論―サッカーをいかに「想像」するか
本能論―遊戯の消息、筋肉の機微
陶酔論―ドーピングの淵から
陶酔論(続)―身体の自然を愛すること
戦術論―互酬性のリズムに揺れながら
遊戯論―カーニヴァル、賭博、あるいはブラジルのホモ・ルーデンス
戦術論(続)―サッカーにおける「第三のストラテジー」
ファンダム論―フットボール民衆神学
時間論―ピッチの上のニーチェ主義者
(「BOOK」データベースより)
他者との関わり合いにおいて主体は形作られ、他者への責任=応答可能性において主体は自らを変革する。倫理と暴力の危険な癒着に抗して「私」と「あなた」を結び直す、希望の哲学。
(「BOOK」データベースより)
自分自身を説明すること―倫理的暴力の批判
第1章 自分自身の説明(呼びかけの光景 フーコー的主体 ポスト・ヘーゲル的問い 「あなたは誰か」)
第2章 倫理的暴力に抗して(判断の限界 精神分析 「私」と「あなた」)
第3章 責任=応答可能性(ラプランシュとレヴィナス―他者の優位 人間になることをめぐるアドルノ 彼自身を批判的に説明するフーコー)
(「BOOK」データベースより)